こんにちは、アヤコです。
不安で夜も眠れないときってないですか?
私なんか今でも定期的にやってきます。
それだけ次の新しい課題が来ているというありがたいことでもありますが、それを解消しない限り不安がつづくのもしんどいですよね。
その不安を解消したくてネットで情報を集めているのに、集めるほどに不安が高まる矛盾。
ネットに限らず情報を集めるほどに不安が高まるのには理由があります。
以下のツイートをしました。
根拠をもとに論理を展開してくれる方がいるのは本当にいいこと😊
誰でも情報発信ができる世の中で
ますます自分で考えて、情報の取捨選択をする必要が。「裏づけは?」「前提条件は?」など見極める目をもちたいですね。
美容の話ではありますが
「考える力」として子供に身につけさせたいこと。 https://t.co/FNy5434fo1— アヤコ@幼児教育で才能を育てる (@momo_days) 2019年8月19日
根拠をもとに論理を展開してくれる方がいるのは本当にいいこと
誰でも情報発信ができる世の中で
ますます自分で考えて、情報の取捨選択をする必要が。
「裏づけは?」「前提条件は?」など見極める目をもちたいですね。
美容の話ではありますが
「考える力」として子供に身につけさせたいこと。
不安を解消するには2つの柱が必要です。
自分はどうしたいのか ←これだけでいけるときもある
合理性のある根拠
これについて掘り下げていきます。
不安でたまらず決断できないとき
不安で落ち着かないときってありますよね。
自分なりの理由があるときと、ないときと両方。
個別の回答はクライアントさんに対してでないとできないですが
(人によって状況が違うのと「不安でいたいための不安」というのもあるので)
大きくとらえたときの例をお伝えしたいと思います。
不安は何のサインなのか
以前、次の記事を書きました。
「「不安はやり残しがありますよ」というサインです」という主旨のことが書いてあります。
詳しくはこちらから。
毎日積み上げてるはずなのに、やってもやっても焦りや不安が募るとき
周りがキラキラして見えて一人遅れをとっているように感じる
これは最近のSNSでありがちではないでしょうか?
フェイスブックやインスタでキラキラした世界を見せつけられているような思いがする
もうまぶしすぎて、地味に自分なにやってんだろって気分になる
久しぶりに仕事以外のネットに復活したときに一番驚いたのがこれです。
「えー!?今、世の中こんなことになってるの?」って。
結論からいうと「見せ方がうまいですね」です(笑)
ウソではないけど、すべてではない。
そりゃそうですね。時代が変わってツールが変わっても人間ってそんなに変わらないものですね。
冷静に分析する
本当に充実している人はSNSに写真をアップしたりしません。
おいしいものを目の前にして感動したとき
「わぁ~!!」ってなって食べちゃって、ハッと気づいて写真を撮ろうとしたらすでに食べかけ。
これが本当だと思います。
見映えよく写真を撮っている時点でかなり冷静。
大勢で集まって何だか楽しそうな写真のとき
写真に写っているメンバーで具体的に誰と誰が仲良しか矢印を引っ張ってみたらいいですよ。
何かの共通なベースがあるから集まっているだけで、特定の誰かと仲良しなんて1~2人なのがわかります。
下手したら、他のメンバーが誰だかわかってないケースも。
SNSをやるのは目的がある人か、承認欲求が強い人
これらをふまえてSNSを見直すと、SNSをやっている人は、次の2タイプに大きく分けられます。
目的がある人
何かの情報を発信したい人ですね。
発信すること自体が目的(趣味)の人もいれば、仕事につなげようとする人もいます。
承認欲求が強い人
楽しい情報をシェアしますという体裁で、「私のこと見てみて~♪」というタイプですね。
時々マイナスな情報を織り交ぜるとしても「でも、やっぱり私ステキでしょ」という形に落ち着く。
見てる側をバリバリ意識した発信。
学生さんの間はありだと思います。
自分を発信して模索しながら、自分の輪郭を確かめる時期です。
承認欲求だって、本来は自然な欲求です。
ただ、大人になって度がすぎるのは
「何が満たされていないのかな、この人は」という感じ。
ほどほどがいいですね。
純粋に自分大好きな人
比率はそんなに大きくないですが、こういうタイプは見ていて清々しいですね(笑)
承認欲求強い人と似て非なるなのです。大人になってもいい意味で子供。
この状態だと、別に他人にマウントとろうとしているでもなく、ただただ自分を確認するためだけのものなので「こういう人もいるんだ」と素直に見られます。
自分が本当にほしいものか
先ほどの「冷静に分析する」に通じますが、インスタの写真を例にします。
(それらの写真を否定したいわけではないので、特定のものを例には出さないです。)
たとえば、私の場合だったら
「海外の、海辺やプールに、フルーツやシャンパンなど美味しそうなものを並べて、ゆったりしている写真」に反応しました(笑)
めちゃめちゃキラキラしているように見えました。
で、何枚も見ているうちに「あれ?」と気づきます。
フルーツ → 山盛りになってるけど日本で買えるものばっかやん
飲み物 → これもグラスだけかっこよくしたら日本で買えるねぇ
パン → デパ地下で同じようなの売ってた
今すぐ叶うやん!!
そんなわけでフルーツやらパンやらを好きなだけ買い込んで、飲み物も用意して、数時間ボケーッとする時間を自分のために用意しました。
疲れてたんですね。
自分に必要なものがキラキラして見えたんですね。
「海外」「海やプール」という要素は「非日常が足りないよー」というサインだったので遊びを増やして解決しました。
たとえばこちら
非日常で遊ぼう【ムーミンカフェ → 東京スカイツリー → 水上バス →お台場 フジテレビ → ビーナスフォート → チームラボ】
たまには「非日常」でリフレッシュ やることやったらガッツリ遊ぶ【逗子海岸ウォーターパーク】
このように分析して解決していきます。
単純に筋トレ不足かも
単純に運動不足による血流が低下しているのかもしれません。
体調がメンタルに及ぼす影響は想像以上です。
本当にそう!
デスクワークがメインの人は、意識して「足」を動かしましょ!昔、メンタルやられかけた原因は、外的要素もありますが
筋トレ始めたら2ヶ月で回復!クロネコさんは、いつも有益な情報を流してくださってステキ過ぎる…🥰
何かいいことありますようにって祈らずにはいられない✨ https://t.co/0wdyHbgDs4— アヤコ@幼児教育で才能を育てる (@momo_days) 2019年8月20日
決断できないのは情報の質と量が足りないから
先ほどはインスタを例にしたので、今度はツイッターから。
情報はネット以外からも集めるものですが、ネットを使う方が多いと思うのでSNSを例にします。
ツイッターで、いろんな人がいろんな意見をいうのをいろいろ眺めているうちに、
「人を惑わせそうな擬態した情報が、今の時代も流れてるんだなー」と思いました。
ただ、利用している媒体の規約にのっとっていれば、自由に発信していいのがSNSのいいところですので、イチイチ裏づけを求める方がまちがっているのだと思います。
なので、読み手側が、見る目を養わないと自衛の手段にならないのかと。
質が足りないとは「根拠のない情報」または「根拠にならないものを根拠にしている情報」だから
自分の「感想」を絶対的に正しいものとして発信している情報に接したら、「あぁ、この人はこう感じているのね」で終わらせる。
人と自分は意見が違って当たり前。
「感想」なのだから、人が何を感じたかは、何を言ってもそれはそれであり。
根拠にならないものを根拠にしている場合は、表現の仕方によりますね。
自分の経験の範囲で語るのもあり。
ただ、それがこの世の絶対でない限り、それを元に他者を否定するのはやりすぎ。
自分と他者では前提条件が違うと思います。
偉人の名言を引用して「○○はこういった」も権威性を出すのに使う場合がありますが、それは内容と一致しているのか要確認。
数字を出していると正しそうに感じますが「その数字の裏づけは?」と、疑うのも必要。
サラリと流すような内容ならいいですが、妄信しない。
根拠という土台がないものを塗り重ねても、自信にはつながらないですし、ましてや決断する材料になりません。
量が足りないとは「同じ意見ばかり集めている」か「反対までいかなくても違う切り口の意見が足りない」
サラリーマン同士で居酒屋で、ママ友同士でファミレスで
あれこれ話してスッキリするのも解決法としてありかもしれないです。
特に問題を解決したいわけでなく、ちょっとガス抜きできたらOKみたいな場合。
何でも圧倒的に解決しろというのは強者の理論で
解決したいけど力が及ばない範囲の場合、周りに実害がないのならグチをこぼすのくらいありでしょう。
本人がそれでよしとしているのなら。
そうでなくて、解決したいのに決断できない場合は
同じ意見ばかり集めている
反対までいかなくても違う切り口の意見が足りない
から不安になるのだと思います。
仮に少数意見だとしても
「自分が良しと思うものに対して否定的にとらえる人は、どんな風にみるのか」を知ることは、かえって自分の自信につながったりするので意見を拾うといいと思います。
割合でいったら4%前後で十分です。
少ない数字に見えますか?
「自分をよりよくするため」のものであるならこれで十分。
聞く耳を持たない状態をさけるためのものも同様です。
クレーム関係の本を読むとわかりますが、4%はどうあっても発生する数字のようです。
そこを積極的に活用しましょう。
※ここでいう反対意見とは、根拠なく感情をぶつけてくる人のことではありません。そういう意見は除外です。
ちなみに、反対意見を集めても
「え?反対っていってこんなもの?だったら、自分の意見でいい」と自分の強化になることも。
自分の身近なところから聞いていくといいかもしれません。
結婚相手、親など。
友達が一番くせものですね。類友になっている可能性があるので。
まとめ 決断力をあげるために日常生活でできること
「なぜなら」を口ぐせにして理由を確かめる。
ただ何となく感じて決めていた日々。それが不安をあおります。
「イチイチ考えられない…」という思考停止が不安という雑草をはびこらせています。
思考停止をやめて、頭の中の雑草を取り除きましょう。
最初は自分の感覚を根拠にすればいいです。
もちろん、客観性はないですが、自分のためだけに使う根拠なら、自分の好きにしたらいいです。
それでも、十分な精神安定になると思います。
なるべく細かく、できれば数字で表現する
「何となくわからないけど、この世のおわり…」的に思うとき、圧倒的に客観視が足りないです。
「ぜんぜん勉強ができない」というお子様の悩みの場合
すでに「ぜんぜん」があいまいです。
↓
どの教科?
何年生のときのどの単元?
その中の何でつっかえている?
いつから?
練習量は足りていたか?
こうやって掘り下げていくと、意外とできていることも十分にあって、特定の一部分で引っかかっているだけのことがわかります。
70%はできていて
20%はトレーニング不足で自信がもてないだけで
本当に理解していないのは10%だけだった
みたいなことがわかります。
希望があるから絶望しますが、案外、紙一重です。
冷静に分析すると、実はかなりうまくいっていて解決する必要があるのは10%ということがよくあります。
合理的な思考で、不安という雑草を取り除きましょう。