決断力を向上させるには?無意識にかかっているバイアスに注意

子育て&英語

こんにちは、アヤコです。

福沢諭吉の「天は人の上に人をつくらず~」という言葉は有名ですが、そこの部分だけ切り取っている人を見かけませんか?

あれには続きがあって
「人はみんな平等だけど、学問によって差がつくよ」って主旨のことが書いてあります。

だからタイトルが「学問のススメ」なのに、都合よく見過ごしている人いませんか?
「人は平等だ!」って(笑)

平等だけど、学ぶことで差がつくから「学ぼう!」が主旨で、だから本のタイトルにもなってるのでは。
見たいように見ると、本のタイトルすら目に入らないのかもしれないですね。

さて、今日も昨日のこの記事に続いて、今日も「決断力」「考える力」というところにスポットを当てていきます。
どうしたら決断力が向上する? 自信がつくのは「自分のやりたい」と「合理性のある根拠」を明確にするから

正直、「考える」なんてキリがない話ですし、ベストを尽くしてもあとから考えると「あちゃー」ってこともありますが、「あちゃー」って思うってことは今の自分の方が成長したということで、一歩一歩、歩を進めていくしかないですね。

先日、以下のツイートをしました。

学生さんに伝えたい。
「何のために勉強するの?」
こちらの方のように
「与えられた情報から類推するチカラ」を身につけないと、
正しい情報を丁寧に与えられているとは限らない世の中。
だからこそ、誰が信頼できるのかと
自分自身が信頼にたる人になろう、とすることが大切だと思います。

これについて掘り下げます。


決断力は、自分のモノサシと情報量

先日、以下の記事をアップしました。
ひと言でいうと「決断できない理由は、情報が少ないからかもしれないですよ」ってことです。
決断できない場合は、現場を見ること。情報が少ないから決められない。

とはいえ、ネットに情報がアレコレあふれる中、「情報が少ない」とはどういう意味だと思いますか?

その情報は正しいのか

裏づけや考え方の枠組みに、しっかりとした土台があるのならいいのですが

感情をベースにした気分で書いている情報

前提条件や言葉の定義が違うのに言い切っている情報

0か100かの両極端な情報

などが混乱の元なのではないかと思います。

特に、「0か100か」みたいな論調は、わかりやすく思考停止にはうってつけです。
「○○は悪」→「だからそれはダメ」みたいな論調です。

実際には、もっと要素があるはずなのに、あえてそれにふれず、「善か悪か、さあどっち?」みたいな誘導はネット上でよく見かけます。

善か悪か言われて、悪を選ぶ人はほぼいないでしょうが、あえて選ばせる風を装って、自分で決めたように思い込ませる手法。

マーケティングの手法自体は問題ないですが、悪用する人はいつの時代にもいますね。


人は無意識に想像しながら生きている

必要な情報が全部でそろうということは、そうそうないので、人は無意識に情報を補填しながら生きています。
「あ、Aさん、具合が悪そうだな」とか。
実際、想像力や共感力がないと、人間関係がギスギスするので必要な力です。

相手の表情やしぐさから相手の気持ちを本当にわかってる?

ただ「人目が気になる」レベルの場合、自分を中心に物事を判断しがち。

たとえば、Aさんは家を出るときに家族とケンカして不機嫌なだけかもしれないのに、「あ、私、何かしたかしら」みたいな感じです。

そう思ったときに、サラッとAさんに話しかけられたらいいのですが、そうできない人だと、いつまでもモンモンとして逆に「あの人、不機嫌?」と思われてみたり。

わざわざ自ら誤解をつくるタイプにありがちなパターンですね。

バイアス(色眼鏡)は「かかっているものと思う」だけで違う

バイアスとは「思い込み」ということですが、人は今までの生い立ちや育てられ方でかかっているものです。

たとえば「朝ごはん」で思い浮かぶもの何ですか?

お米、パン、オートミールなどあるかと思いますが、虫とか思う人はそうそういないと思います。

地球上の地域によって、朝ごはんに食べるものは違って当たり前ですが、人は無意識に自分にとっての当たり前をこの世の基準にしてしまうものです。
これを知っておくだけで、かなりの予防になります。

「自分の見たいように見る」を抜けるのは本当にたいへん

海外旅行に行くのが手っ取り早いかもしれませんが「いつもと違う」環境、人間関係などに身を置かないと、違いなんて早々意識できるものではありません。

「こんなの当たり前でしょ?」と思ったら、まず色眼鏡がかかっています。
誰にとっての当たり前ですか?ということです。

それを忘れての議論が炎上の典型なように思います。
「人は人、自分は自分」です。


客観視は難しい

本当に客観視は難しいですね。
自分のことは確実に10~20%増しで良く見ています。

それはそれでいいと思うのですが、自分や他人を否定したくなったときは客観視が必要なタイミングだと思います。

どちらも、多少はあっても自然だと思うのですが、過剰すぎると生きているのがつらくなるかと。

だから数字とデータ

昨日の記事にも書きましたが、だからこそ数字で表現することが大切です。

ゼロか100かの思考だと、ほとんどできているのに、できていないごくごく一部に目を奪われて、すべてを壊してしまいたくなる感情にとらわれてしまうことがあるから。
実際、そんな悪い状況ってそうそうないです。

少し言い換えるなら「自分にとって不慣れなマイナスな状況」に遭遇したときに人は絶望感を味わうのだと思います。

不慣れだから、必要以上に危機感を覚えるだけで、細かく分析して対策をとって、ひとつひとつつぶしていけば問題ないです。

見て見ぬふりして対策を何もしないから、不安がふくれあがってきます。

データを鵜呑みにしない

その数字があっているかというのも大事です。
割合なんて、分母をかえたら、いかようにも調整できます。

たとえば、5人のうち4人だと80%ですが、100人のうち4人だと4%です。
同じ4人でも、切り取り方で、かなり印象が変わります。

「みんながそう言ってる」も、かなり胡散臭いですね。
「具体的に誰ですか?」って話です。あざとい女子にありがちなトーク術ですね。

自分の気に入らない状況だと、自分の都合のいいように流れをつくるために、自分は善意の第三者的なポジションを維持しながら話をすすめるパターンです。

まとめ 意外と合理的なのが世の中

長い目で見たら、インチキは淘汰されます。
もって3年です。最近はネットの影響で、ものによっては1年くらいの速さになっているようです。

でも、それまでの間、ガマンしますか?
そもそも、そんな非合理に遭遇したくないですよね。

歪みがあるところ、風とおしの悪いところに、インチキははびこります。
ホコリやカビが発生するのと似ていますね。

ウイルスを寄せ付けない免疫を持った丈夫な体と同じです。
合理的な思考を学びつづけて、少しでもすごしやすい毎日にしていきましょう。


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