「コンチクショーなやつを放っておいていいのか!?」

基本の話

こんにちは、アヤコです。

先日、以下の記事を書いてツイッターで案内をしました。

「何で人のせい(お金ect.)にしちゃいけないの!?実際そうじゃん」について

ブログ書きましたー!
「なんで人のせいにしちゃいけないの!?実際そうじゃん」について

これのためか、正直わからないのですが、フォロワーが増えてびっくりしました。
なので、もしかしたら、怒りを抱えている人って多いのかなーと思って追加記事を書きます。

かなり抽象的かもしれませんが、わりと重要だと思っています。

コンチクショーな奴は、コンチクショーな世界に住んでいる


わりと中二病のまま大人になった方ではないかと思っているのですが、世の中の理不尽に対しての怒りが常にどこかにありました。

怒りの感情を手放す必要があるからって、(理不尽な!)という思いがどうしても手放せなかったのです。

でも、ある時、気がついたんです。相当、時間がかかってから(笑)。

「本当にコンチクショーな人なら、その人はコンチクショーな世界に住んでいる。」と。

今、うまくいっているようでも、もって3年です。
もしその人が本当にコンチクショーな人なら、早晩、没落します。

逆に、今どんなにつらくても、きちんとしていたら、あきらめなかったら3年以内に回復します。

※時期は人によります。話をうかがえば、かなり正確な年月を割り出せますが、ここでは平均的なところということで。
※また、「じゃあ、何で浮き沈みがあるの?」も個人によって回答が変わるのでここでは割愛。

だから、本当にコンチクショーな人だったら、あなたがわざわざ手をくだすことないんです。
勝手に没落します。

もし没落しなかったら…?

「何だよ、コンチクショー!」って思う相手がいるということは
そう思うほどの、そもそもの「何か」があったと思います。

一般的に、人はそんなに人を恨むようにできてないので、そう思うほどの何かがあるのは、そんな思いを抱えていなくてはいけない、というだけでもつらいことと思います。

…ってか、つらいよ。わかるっ!
過去の自分への手紙のつもりで書くにしても、書いてるだけで泣けてくる。

さて、ここでポイントとなるのは
私たちはジグソーパズルのピースのようなものだということ。

かみ合わなければ「現象化」は起こらない


私たちは、一人ひとりが独立した存在でありながら、みんなでひとつの絵を作っているようなもの。

ジグソーパズルのピースでもいいですし
万華鏡のパーツのイメージでも近いかな。

それぞれの個性を活かしあいながら、さまざまな現象化を起こしながら生きています。

「赤」の人は、「青」と出会えば「紫」をつくり、「白」と出会えば「桃色」をつくるみたいな感じ。

どちらかの周波数というか、性質というかをズラせたら、かみ合わないので「現象化」は起こらないです。

なので、相手が没落する風でもない場合、
自分の側にも半分、現象化を引き起こす要因が含まれていた可能性があります。

これも、よくよく観察していくとわかるのですが
自分に返ってきた分がちょうど自分の分なように思います。
つらい。

「人は、その人に合った世界にすでに住んでいる。」

それは、つまり、

「コンチクショーと思う私も、それにふさわしい世界に住んでいるということなんだ…」と。

「相手がコンチクショーな人であろうとなかろうと、見直すべきは常に自分だ。」と。

小学生の頃、先生に「『○○ちゃんが…』じゃないの!自分を改めなさい。」と怒られた意味がやっと分かった瞬間でした。

とはいえ、今でも時折、「もぉー!」と思う瞬間はあります。

(育児をしていると、とっさに子供のせいにしかけたり・笑)

そんな時は、

「怒りの構造は、相手への理解不足だから…」

「今の自分の何を見直せってことだろう。」

今ここから何に気づけ(何を学べ)ってことだろう。」

と、(心の中で)念仏のように唱えています。

当たり前に身に付くまでには、まだまだ時間がかかりそうです(笑)。

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