こんにちは、アヤコです。
「決断力」とは「選ぶチカラ」です。
いろんなスキルが出回ってますが「やりたいこと」が定まってない限りノウハウには限界があると思います。
先日、下記のツイートをしました。
子供の頃は、何も考えずに
ただただ夢中になってやっていたと思うのに大人になるといろんな条件がついてしまうのはなぜでしょう。
時間があろうとなかろうと
自信があろうとなかろうと
人に何か言われようと夢中になれる何かを
「思い出す」ことから始めるのはいかがでしょうか。— アヤコ@幼児教育で才能を育てる (@momo_days) 2019年7月22日
子供の頃は、何も考えずに
ただただ夢中になってやっていたと思うのに
大人になるといろんな条件がついてしまうのはなぜでしょう。
時間があろうとなかろうと
自信があろうとなかろうと
人に何か言われようと
夢中になれる何かを
「思い出す」ことから始めるのはいかがでしょうか。
どんなに決断力をアップさせるためのスキルを追い求めても意味なしです。
自分の中心点にあってないことには、人はチカラが入りません。
「決断力」がある人とない人の違いは「やりたいこと」への強度
「やりたいこと」があるから飛べる。
やりたくもないこと、やりすぎてませんか?
難しく考える必要なしです。やりたくないことは、まずは控えましょう。
社会との整合性をとりながらでOK
もちろん、いきなり反社会的になれということではありません。
社会があるから生きているのが人間です。
ただ、思い返してください。
「どちらでもよい」と選べるときに、周りの目を気にした選択になっていませんか?
誰もそんなこと思ってないかもしれませんし、思っていたとしても、そこまで重大なことなんでしょうか?
いきなり、自分を全開に出す必要はなし
「必要以上に過敏になっていませんか?」ということ。
どうします?
もし誰かの目線を気にした選択をして、あとあと、その相手から
「え?そんなの気にしてたの?こっちはそんなことちーーっとも考えてなかったのに」
と言われたら。
後悔しませんか?
「周りの目を気にすること」>「自分のやりたいこと」
だと何も決められませんね。
相手が何を思っているかなんて正確なところは分からないのですから、いつまで選べません。
「周りの目を気にすること」<「自分のやりたいこと」
ゴリ押しすると信頼関係にヒビが入るかもしれないですが、やりたいことの強度が高い場合、「どうしたら、やりたいことを実現できるか」という発想にたどりつき試行錯誤がはじまります。
だから、実現する。
決断力に関する昔話
私が子供の頃の大人たちは、現代社会以上に、周りの空気を気にしていたと思います。
文字どおり「ムラ社会」なので。
とはいえ、現代のSNSのように
「相手が誰だかわからない大勢とひっきりなし」ということはなく
「数人のご近所さんと接点をもつことのある数回」という点では昔の方が楽だったかもしれません。
小さな子供の立場なので
大人たちが話しているそばにまぎれて遊んでいても気に留められることもなく
大人たちの「それぞれの立場」での裏側(といっても悪意なく)の会話をよく聞いてました。
お互いの本音をさぐりすぎてトンチンカン
正直、このパターンがよくありました。
「お昼ごはんを一緒に食べに出かける」ということだけでも。
お互い「お寿司(さっぱりしたもの)が食べたい」と思っていたとします。
で、実際、くり広げられる会話は以下の感じ。
カッコ内は心の声。
A「お昼ごはんは、何を食べる?今日は、暑いよね~」
B「(暑いってことはスタミナがつくものが食べたいのかな)そうね~、元気がでるものがいいよね~」
A「(あれ?さっぱり系が食べたいっていうかと思ったけどスタミナ系?)うん、そうね~」
B「(あれ?元気がでるものじゃなかった?両方ふってみようか)焼肉とかもいいし、お寿司とかもいいよね」
A「(あ、私に気を使わせたかな。元気のでるものってことは…)うん、焼肉もいいね~」
B「(これで正解?)じゃあ、今日は焼肉にしようか」
…みたいな感じです。
2人が「さっぱりしたものを食べたい」というのを知っていた私は、不思議でたまりませんでした。
相手の意見を尊重するにしても、もう少し本音を出せば、お互いに自分の食べたいものを食べられたのに。
あとで聞いたら「そういうことではなくて、これでいいんだ」と言っていましたが…。
自分の立場をいうのは悪ではない
自分を出すのがNGと思い込んでいる方は、自分の意見を出すことが悪なのではなくて、ゴリ押しして相手の都合を考えないのがNGだという、この違いをしりましょう。
そこに多少の慣れとスキルは必要かもしれませんが、こういう小さな「やりたいこと」を表に出せずに、どうして決断力(選ぶチカラ)が身につけられましょうか。
こういう小さなことの積み重ねもそうですが、気になるのは大きな意味での「やりたいこと」ですよね。
やりたいことは「10才前後」にヒントがある
これは、多くの方がそうなので、ぜひ記憶をたどってほしいです。
「人生でやりたいこと」
これを探し求めて迷っている人が多いのだと思いますが、かなりの高確率で10才前後にそのヒントがあります。
10才までの間に「脳」が完成します。
これは、どなたも知るところだと思います。
この頃までに、無意識が形づくられます。
もちろん「毒親」もいるので、その辺を加味することは必要なのですが、基本的には「一番スナオな状態」の時期であるといえます。
この頃が、一番、中心点に近いところにいます。
知っている世界の中でしか判断できない狭い世界のことなので、そのときの興味をそのまま流用はできません。
子供がやりたいことなんて、だいたい次のとおりだと思います。
学校の先生
スポーツの選手
お店屋さん
ただ
一人もくもくと何かを作るのが好きなのか
人と関わりあうことが好きなのか
など、興味をもつ方向性は子供によって違いがでてきます。
(ただ、環境や大人の影響を差し引く必要があります。)
自分の気持ちだったら「あー、親に言われてそんな気になっちゃったな」とか差し引くことができると思いますので、記憶をたどってみてください。
まずは、自分の「やりたいこと」を見つけよう
そこから現在との結びつけという次のステップがはじまります。
自分の中に眠るタネを掘り起こして自覚するところから。
決断力はあとからついてきます。