「許す」と「事実の誤認」は紙一重【気をつけないと怒りは堂々巡り】

基本の話

こんにちは、アヤコです。

下記のツイートをしました。

イライラするのは、期待が現実よりも大きいから。
期待しすぎないで
「ほしい結果」と「必要なやること」にだけ目を向けてコツコツと。
で、時々、どのくらい積み上がったか確認して
小さくガッツポーズして、またコツコツと。

このイライラをもう少し大きくしたのが「怒り」だと思うのですが、表裏一体でついてくる表現が「許し」。

これ、取り扱いに気をつけないと、堂々巡りをくり返すので深堀りします。

「怒り」は何のメッセージ?

怒りは
『怒りの対象』への理解が足りていませんよ。
というメッセージです。

ひとつ例え話をしましょう。

あなたが道を歩いている時に
いきなりぶつかってきた人が謝りもしないで走り去っていったとき、さすがにちょっとムッとしませんか?

でも、もしその人が

失恋直後で泣きながら走り去っていった

親の危篤で周りが見えていなかった

などの理由があったとしたら、ちょっとだけ許せる範囲が広がりませんか?

(「何をされても許しましょう」ということではありません。ダメなものはダメです。)

「怒り」という名の色眼鏡を持ち続けていると
世界がそのように見えてしまう
ので
気づかなければいけないことを見落としてしまうことがあるのです。

すべては自分のために

なので、見落としがないようにするために、「怒り」のブロックを外す必要があります。

だから、善人になるためでも世のため人のためでもなく
自分のために「『怒りの対象』への理解を深める」のです。

とはいえ、怒りを手放すのってかなり難しい…

詳しくは、こちらの記事に書きましたが、まぁ~~~難しかったです。私にとって。

「コンチクショーなやつを放っておいていいのか!?」

「怒り」に関するオススメ本

先ほど「理解が足りないから」とお伝えしましたが、別の表現でとてもステキなものがありました。

こちらの本の一節です。43ページだったと思います。
「怒っているのは、さみしいからだと気づこう。」

なんてステキな表現!
自分がこういう表現を思いつきたかった(笑)

中谷彰宏さんの本は、すごくわかりやすくコンパクトに書いてあるので時間がない方にもオススメです^^

「許す」は気をつけないと「事実の誤認」になりかねない

さて、ちょっと切り込んでいきますが
「許す」ときに「理解」は必要ですが「受け入れる」必要はないです。

怒りを解消するときに「許し」という言葉が出てくると思いますが
「許し」の定義は何ですか?

受け入れたくもない出来事なのに
「許す」の定義をまちがえて
ムリに受け入れよう、許したと思い込もうとするから、ゆがみが発生します。

「ダメなものはダメ」でいいんです。
受け入れる必要なんてない。
そんな聖人君子になる必要なんてない。

事実を正しく受け止めないから、いつまでたっても解決しない

許したくもないのに「許さなきゃ」

「いえ、きっとこれには意味がある」

とか、ムリにこじつけると、事実の誤認になって、いつまで経っても解決しないです。

心の底から、自然体で思っているのならOK。
別問題です。

「許す」=「仕返ししない」 これで十分

「お前らのやったことはクソだぜ。人間のやることじゃねー。俺は決して受け入れないし認めない。でも、お前らが本当にコンチクショーな人間だったら、コンチクショーな世界に住んで、それにふさわしい生き様になっている。だから、俺は仕返ししない。」

という感じです。
仕返ししないと言いつつも、「次やったら正当防衛の範囲で反撃する」くらいの威嚇は十分ありでしょう。
「こいつ、やってもやりかえさないんだってさー」とかどうします?

自分の身を正して、さぁ次のステージへ!

先ほどのリンク先の記事に書いてありますが
自分自身はコンチクショーなやつになってないかだけ確認して
そのステージにとどまる輩はそのままに
自分は新たなステージへ向かいましょう♪

ステージがほんの1cmあがるだけでも別世界ですよ。
気づけば一瞬です。今までにかけた時間なんて関係ない。
大丈夫。
誰でも移動したくなったら行けます。

そして、たぶん、誰も気づいてないですが…
このブログのタイトル「Next Stage」なんです(笑)
※2019年8月1日現在

では、また。

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