こんにちは、アヤコです。
最近、「決断力」関係のブログが続いたので、下記のツイートをしました。
育児なのに早々に
「決断力をつけるには」
と書いているのは
子供の頃なら簡単に身につくものだから。「やりたい!」のかたまりの
エネルギーのかたまりの
子供のうちに
活かす方向でアシストする。何年も我慢して押さえつけられると
大人になって
「何がやりたいかわからない」ってなる。— アヤコ@幼児教育で才能を育てる (@momo_days) 2019年8月5日
育児なのに早々に
「決断力をつけるには」
と書いているのは
子供の頃なら簡単に身につくものだから。
「やりたい!」のかたまりの
エネルギーのかたまりの
子供のうちに
活かす方向でアシストする。
何年も我慢して押さえつけられると
大人になって
「何がやりたいかわからない」ってなる。
結論は、これですが
この習慣は早い段階で身につけた方がいいので、もう少し説明を追加します。
「決断力=選ぶ力」はどんな立場の人でも必要
決断力(=選ぶ力)が必要であることは、ほぼすべての大人が同意してもらえると思います。
人生の岐路に立つとき、迷って迷って決められない。
無理やり決めたとしても自信がもてないから行動にキレがない。
つい「選ばなかった方を選んだらどうなっていたのだろう」と考えてしまう。
こんな疑問を持つだけで、人生の幸福度がさがってしまいますね。
上記を裏返すと
自分の人生はこれでよかった。これに決めてよかった。
自分の選んだ道は間違いない。あとはやるのみ!
人生で最高の選択をした。
字面だけでも、しあわせそうですね。
自分自身もそうだし、子供にもこういう人生を歩んでほしいと思いますよね。
謎解きとしての構造目線でいうと
同じ階層にいる間は、どちらを選んでも同じ階層内のことなので同じことです。
どちらでもいいので選んだ方に全力を尽くせばいいという結論になります。
それでも、気持ちをふらふらさせずに、道をまっすぐに歩くためにも、決断力(=選ぶ力)はあった方が間違いなく幸福度があがると思います。
大人で「何がやりたいかわからない」ではいけない理由
上記の幸福度の問題もありますが、大人でやりたいことが明確でないといけない理由があります。
それは、人にあやつられやすくなるからです。
「何がやりたいかわからない」とは言い換えれば「思考停止」です。
自分の意見がないということです。
一見、行動力がありそうな人でも思考停止している人はいると思います。
「○○さんが言ったから」「○○さんが言ってます」が口癖
有名人や立場の強い人がオススメするものはいい物に違いないと思う
みんなと同じ流れに乗っていたら安心
各種マスコミや、親や、そのほかの影響を自分の思考と思い込んでいませんか?
思考停止かつ感情的な人ほど、あやつられやすく、世論のコントロールに巻き込まれやすいでしょう。
「選ばない」ということを「選んでいる」
思考停止かつ行動しないパターンの人は
選ばない
先送り
自分の意見を言わない
だと思うのですが、自覚していようといまいと
「選ばない」ということを「選んでいる」のです。
そして、そのような人生の選択をした結果も負うことになります。
上記の理由だけでも
「決断力=選ぶ力」はどんな立場の人でも必要ということが伝わるかと思います。
子供は決断力のかたまり 「やりたい!」であふれてる
子供は、ときに押さえつけて言うことを聞かせたい衝動にかられるくらい「やりたい!」であふれていますね。
このエネルギーを使わないのは圧倒的にもったいないです。
たとえていうなら
地震と火山の国、日本は、逆を返せば温泉大国でもあるわけです。
エネルギーを殺したり敵対したりするのではなく、活かす方向で。
「やりたい」と「○○しないと」「○○すべき」の圧倒的な違い
大人でも確認してほしいのですが
○○しないと
○○すべき
という思考に汚染されていませんか?
日本語として使うことがあるのはいいのですが、その根本に「やりたい」はありますか?
○○しないと → だって、やりたい○○に間に合わないから
○○すべき → だって、ほしい結果を得るために必要だから
「○○しないと」「○○すべき」だけだと、ひたすら消耗になってしまって、仕事や勉強、家事・育児をはじめ、何をするのもつらくなってきます。
無理やりの理由づけ。
「やりたい」という時点で選んでいる(決断力)
上記のように、常に「やりたい」を意識することが大事。
直接的に、やりたいことではなかったとしても、多少の義務や面倒があったとしても、やりたいに続く道であるなら、人間はまっすぐ歩いていけます。
多少のガマンがあったとしても、ほしいものに続く良いガマンですね。
自分で選んだ「やりたい」だから壁があっても乗り越える
「絶対やりたい!」と心のわくわく、好奇心から発しているものだから壁が現れたときに、できない理由を探すのではなく「どうしたらできるのだろう?」と考え続けられます。
「できない理由」を並べてしまう方は、きっとそもそものところで「やりたい」ことではないのだと思います。
「じゃあ、どうしたらできる?」「じゃあ、どうしたらできる?」とくり返し問いを持つくらいの勢いです。
子供のやりたい(決断)をどのように活かすのか 日常生活との折り合い
「じゃあ、子供のいうことを何でもかんでもやらせればいいのか?」というと、できるのならそれでもいいですが、実際問題、できないこともあると思います。
ですので、以下のポイントを抑えることを意識してください。
1)壁の乗り越え方をサポート
子供の発想は限界があります。
当たり前ですが、大人とくらべて知っていることも格段に少ないです。
親が代わりにやってしまうのではなくて、知識と知恵を貸してあげてください。
「調べ方」を教えるとかです。
「魚を与える」のではなく「魚の釣り方を教える」の方向で。
2)成功体験を印象づける
完璧にできないまでも、やりたいことに近づいたら、いえ近づかなくても一歩を踏み出せたら、ぜひその事実を言語化してください。
わかりやすく言うと「褒める」ということなのですが、ニュアンスとしては褒めるというより「事実をそのまま言葉にする」です。
余計な脚色は基本的には要りません。
子供の反応で入れた方が盛り上がりそうだったら入れてもOK。
3)できないときに課題を明確に
できなかった理由を整理します。
ここで、子供は「できたこと」「できなかったこと」がごちゃ混ぜになって、まるですべてがダメなようにとらえがち。
先ほどの「事実をそのまま言葉にする」が大事になのもここにかかってきていて、普段から冷静に事実を伝えていると、ここで声をかけたことが信頼されやすくなります。
「今まで、事実じゃないこと言ったことある?」的な。
時間
お金
対人
知識
それらに対する行動の量と質
何をクリアにすればできたのか、子供にわかるように伝えます。
4)次へつなげる
その上で、次に踏む一歩を提示。
できれば、すでに今の時点で「いい線いってた」と思わせたいところです。
「道がまちがっていたわけじゃない。ただ、歩いた距離が足りなかっただけ」と。
もちろん、そもそものルートが間違っていたら事実の誤認になるので、それはNGです。
まとめ
ますます自分で考えて動ける人が求められる流れです。
そして、その方が圧倒的に幸福度が増すのも実感されていると思います。
要は、ただの習慣、慣れ、トレーニングです。
大人になってからでも、まったく問題なく間に合います。
むしろ、大人の方が理解がある分、進みとしては早いかもしれません。
それに、いよいよ一歩ずつ歩いていくわけですから、よくなるしかないわけです。
それでも、今まで「決断力」にまつわるところで、つらい思いをしたことを振り返ると
子供のうちに身につくのなら(しかも簡単に!)
最初から身につけさせて、しあわせ感の高い人生に設計してあげたいと思いませんか?
上記のチェックポイントをふまえて、ぜひ子供の「やりたい!」を形にしてみてください。